学者の話を再録します 朝井厚子(クラブメンバー)
今年、和泉葛城山のブナの実が豊作だと随所で話題になっています。でも、どうして数年に一度なんだろう?
これについては、このブログでも7/23の活動報告で「ブナが数年に一度、ドカンと大量の実を落とすワケ」という学者の説明を載せた「林業ニュース」のサイトを紹介しています。ただ、投稿の末尾にちょろっと載せているだけでしたので注目度はいまひとつだったようです。
そこで、同説を再録するのもまた一興かと、以下に引用します。ズバリの回答がそこにあって、楽しい!
なお、著者の松原始さんは動物行動学者だそうで、植物学は必ずしもご専門ではないのかもしれませんし、引用文にしても全編動物の行動についての中の一挿話に過ぎません。もし、異見・異論があればぜひともコメントかご寄稿いただくと、深まるでしょう。
以下は、『カラスはずる賢い、ハトは頭が悪い、サメは狂暴、イルカは温厚って本当か?』 松原 始(
この、「大量に産めば誰か残るよ」作戦は生物には普遍的なものである。例えば、毎年毎年、大量の実を落とすブナ。だからって雑木林がブナの若木で埋め尽くされているのは見たことがないはずだ。というのも、ブナが発芽するには、いくつものハードルがあるからである。
まず、地面に落ちたブナの実は片っ端から動物に食われる。だいたいはネズミ、あとはイノシシなどだ。いや、落ちる前からゾウムシが産卵していて、殻の中で食べられていることも少なくない。あるいは腐ってしまう。その結果、多くの場合はその全てが食われるか腐るかしてしまい、発芽することさえできない。
だが、数年に一度、大豊作がある。こういう時はネズミも食べ尽くすことができず、実が生き残って発芽するチャンスがある。というより、数年に一度ドカンと豊作にすることで、チャンスを作り出している、と言ったほうがいい。
もっともブナの場合、発芽したとしても林床はササで覆われて光が届かない。光を浴びて大きく成長するチャンスは、ササが一斉開花して一斉枯死し、林床が明るくなる時だけだ。だが、光が不足したままヒョロヒョロの苗木として生き延びられるのはせいぜい数年。一方、ササが一斉枯死するチャンスは、数十年に一度しかない。
つまり、マスティングの年に実り、かつそれから数年以内にササが枯れてくれた場合だけ、その実はブナの大樹に育つ可能性がある。そんな気長な、と思うが、ブナの寿命は400年くらいあるので、その間に何度か「子孫が残る年」があればいいのだろう。
【コメント】
ブナの実の場合はゾウムシではなく、ブナヒメシンクイという蛾の幼虫が食害の主要因であることが調べられています。(土井)
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